突然 右胸部下あたりに激痛が走る!
今年は、野外で行う職場の夏祭りの担当となって、春先より天候について心配をしていた。
梅雨は、空梅雨という感じで、今年の夏は天候不順になるだろうなっというくらい雨が降らなかった。私は、1haほどの田を兼業農家として営んでいる。例年より過ごしやすい梅雨を過ぎると、私の家の前に広がる田畑は水不足に陥った。私も7月の下旬には毎朝、排水側から揚水ポンプで水かけに行くのだったが、その水も枯れてしまい掛けることもできなくなった。
しかしながら、予想に反して、夏は、昨年に引き続き酷暑に見舞われた。勤務の休みの日を生産組合の作業日に充てていたが、転作あとのそば巻き作業、転作場のほ場整備と休む間のなく、ハナエチゼンの刈り取りと続いた。まして職場の夏祭りが8月26日とあってその段取りや準備にも忙しく取り組んでいた。
そういえば、昨年もこの時期だった。地元の祭りの役を引き受け、酷暑の中田んぼの作業に出て、8月のかかりに風邪をこじらせてしまい、町医者では治らず、大病院で診てもらったら急性肺炎という事で10日間ほど入院した。これはこの病気の前兆だったのだろうか。

生産組合のハナエチゼン刈取りの出番も終わりほっとしていた矢先、早朝目が覚めると突然右胸部下あたりに激痛があり、起き上がることできず、何とかうつぶせになり起き上がるが相当痛く思うように身動きできず、自分でもどうしたのだろうといやな胸騒ぎを感じる。
何か悪性のものができたのかなっと嫌な事も頭をよぎったが、寝ていた姿勢から、子供からもらったマットレスの角ので肋骨を痛めたのでないかと思う。肋骨は咳をしたぐらいでも痛める事があるとも聞いていたのでそれくらいのものかと最初は思った。
日中は、祭りの準備もあって勤務は体力的に楽であったのでそれほど気にならず終える事が出来た。
「8月23日」
夜中も、右胸下あたりに刺すような圧迫されるような痛みが続く。早朝やはり激しい痛みがあり動くことができない。日中は、デイサービスのリーダーだったので痛いながらも体力負担も少なかったので何とか仕事も終える事が出来たが、とてもこの状態では今後は仕事に支障をきたすと思い、たまたま明日は仕事が休みなので整形外科に受診しょうと思う。
「8月24日」
午前中、痛みを堪えつつも、ある方の成年後見人を受任しており、もう8月には面会に行く日がないので頑張ってお会いする。白髪の柔和なお顔を拝見し、気が楽になる。ちょっとしゃれっ気に「トロが食べたいねぇー」とお聞きして次回は持ってくるねと相槌を打つ。7月に何とか探し当てた墓地に、お墓参りにお連れしたことは、もう忘れている。また、9月に会いに来ますと手を振り、施設の支払いを済ませ、その足で整形外科へ受診。
15:00頃整形外科に到着。待っている間も、じわじわとねじ込むように鈍痛を感じている。熱もあるのか、うつらうつらしながら待合室で待っていると30分ほどなくレントゲン室に呼ばれ胸の写真を撮り診察となる。
先生から、画像を見ながら説明を受ける。画像は、右胸の下のほうが白っぽく見えているが、それほど見えないほどでもなく、あばら骨が見えており胸右下のほうを指しながら「写真ではわかりにくいが下の肋骨のの先に軟骨があり、そこが傷んでいるようだ(ヒビ入っているだったかな?)痛みどめの薬と貼り薬で様子を見ましょう。また1週間したら来て下さい。」とのことだった。
その夜より、処方された痛み止めのロキソニンを毎食1錠と湿布薬を貼って就寝する。痛みもあまり感ずることなく寝る事が出来た。
「8月25日」
朝から、明日の祭りの炎天下の準備が続く。身体の調子は本調子ではないが、みんなと同じように動くことはできていたようだ。痛み止めと湿布薬が効いているのだろう。
「8月26日」
夏祭り当日。
7:00より、家から持参すべき必要品をそろえ、施設に向かい準備を始める。体調はけだるくいまいちだが、みんなで祭りを成功させようと頑張ってきたので、その緊張感と、頭に当日のスケジュールがみっちり入っているせいで、さほど体の事は気にならない。
実行委員を中心に700人近くの人にすばらしい祭りを楽しんで頂いた後、後片付けなどして帰ったのは22:00ごろだろうか。夜中には38度以上の高熱が襲う。薬を慌てて飲み早朝には沢山汗を出し熱を下げる。
「8月27日」
朝起きて鏡を見ると、顔の右口元近くに転々と湿疹ができている。ちょっとヒリヒリして触ると痛い。なぜだろうと思いつつも、さほど気にも留めず、「どっちにしてもジンマシンの薬をもらいに行く日が近いのでその時に見てもらおうと思う。そういえばジンマシンも長く出ているなー」っと思う。かれこれ4,5年しっかり治さないでいるので手間がかかってしまっている。夕食時晩酌するのでジンマシンはお酒がよくないらしい。不養生になっている。そのせいかなーなどと思った。
そんな事を考えながら、今までなかった圧迫されるような、刺し込むような痛みを胸下に感じつつも、熱が下がったおかげですっきりして6:00より昨日上げた打ち上げ花火の始末に施設に向かう。土手や、施設周りや他の施設に迷惑が掛かっていないか点検して歩くが、どうも息が切れて仕方ない。ゆっくり休み休み見て回る。
8:00ごろ片づけの職員もそろい本格的に借入してきた椅子、机、ステージ、テント、パネル類、を運び出す。もうその頃はちょっと立っていられないくらいの疲労感と息切れを感じる。みんなからも顔色が悪いと指摘される。何とか痛み止めと、湿布でごまかしているといった感じで、その日は16:00ごろには片づけも目鼻が立ち、みんなに体調不良を告げ、帰宅し、早々に薬を服用し床に就く。
夜中、高熱と痛みに耐えながら、明日は病院受信しなければいけないなーっと思いつつ勤務の事も心配しつつ寝ていると、姉から連絡が入り、妹の義理父が亡くなったと訃報の知らせが聞く。